【彫金】銀,Silver(シルバー)の歴史をちょっと深掘り【知識編】

知識編
Qlip
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どうもちょっぴり職人Qlipです。
素材としての銀に目を向けがちではありますが、今のようにアクセサリーやカトラリーに使われるようになるまでにも歴史があったりします。

金と共に貴金属として太古より珍重されてきた銀は、素材の性質も相まって様々な形に加工されていきました。
金属の中でも特に高い光の反射率を誇ることから、古来より月の光に例えられ魂の浄化や聖なる金属として、富の象徴としてのみならず魔除けや招福のお守りとして多くの文化や人々によって受け継がれています。

最近ではヴィンテージやアンティークジュエリーや民族の伝統的な装身具にも目を向けられることが増えてきたように思います。
私たちが手にしている銀はどのようにして今にいたるのかを深掘りしてみたいと思います。

銀の歴史

砂金と比べ砂銀の産出量は少なく精錬方法が確立するまでの間は金よりも高価な金属として珍重されていました。
古代エジプトにおいては金の装飾品に銀メッキを施すほど貴重だったようです。
精錬方法が確立確立されると生産量が安定し増加したことで、現在と同じように金に次ぐ貴金属という立ち位置になりました。

古代の銀

・紀元前4000年頃
アナトリア半島のカッパドキアにおいて、粒状の銀が製造されたのが最古の銀の製造だと言われています。

・紀元前3000年頃
考古学上の最古の装飾品は、シュメール人の築いたメソホタミア文明の都市国家の一つであるウルの遺跡と、古代エジプト文明の遺跡から発掘されています。
両地域は当時交易があったようなので、技術的な交流もあったかかもしれません。

・紀元前2500年頃
アルメニアでシュメール人によって銀の精錬技術が確立され、生産量が増えることになりました。
生産量の増加に合わせて銀と金の価値が逆転したのがこの時期になります。
この時発見された精錬技術を「灰吹法」と言います。

『灰吹法』
金や銀鉱石を一度鉛に溶け込ませ、その後鉛を酸化させることで取り除き、金や銀を抽出する精錬技術。

・紀元前1000年頃
アメリカ大陸においてアンデス文明が発祥し、銀を用いた製品を生産していました。
金銀ともに潤沢に採集できたようで、細工の加工技術が発展したようです。

・紀元前500年頃
リディアの金貨「エレクトロン貨」の発行に影響を受け、古代ギリシャのアテネで銀貨が発行され、作られた銀貨が「テトラドラクマ貨」です。
4ドラクマの価値のある銀貨で、表にはアテナ女神の胸像で裏はアテナの使いであるフクロウが彫刻されています。

・紀元前200年頃
古代ギリシャのドラクマ銀貨に影響を受け、古代ローマでは「デナリウス銀貨」を、イスラム世界では「ディルハム銀貨」など銀貨が多く流通しました。
貨幣以外にも貴族を中心に、銀器のような食器などの生活用品にも銀を取り入れる文化が始まりました。

・1世紀
インダス文明を受け継いだインド周辺でも、古代ギリシャ文化の影響を受け銀器を作りを始めました。
これは銀器の美しさと抗菌作用や毒に接触した際に変色反応を起こすことから、身分の高い人々が使用したことも関係しているかもしれません。

・3世紀
ローマ帝国において銀が不足したため、年々デナリウス銀貨の銀の含有率が下がることで貨幣としての信用が低下していきました。
これを改善すべくデナリウス銀貨に代わり「アントニニアヌス貨」が造幣されましたが、銀の含有率は初期のデナリウス銀貨よりも低く、さらに粗悪な偽造硬貨が大量に出回るなど貨幣としての信用を取り戻すことはできませんでした。

中世の銀

・7世紀
イギリスで鋳造貨幣の原型となる銀ペニーが作られるようになりました。
当時1ペニーよりも小額の貨幣が存在しなかったため、コインを切断し分割して使用していたため、銀貨自体も薄めに作られたそうです。

・10世紀
アメリカ大陸中南米のメソアメリカ文明(マヤ文明,トルテカ文明,等々)が成熟し、装飾品などの高度な細工や加工技術が確立されました。
これらの技術はのちのアステカ文明などの後の文明に引き継がれていきます。

・12世紀
東ドイツの貨幣造幣家「Easterling」によってイギリスの銀貨の鋳造方法が指導され、その際の銀の含有率を92.5%と定めており、この品位がのちにイギリスの法定品位に設定されました。
この出来事以降、この品位をスターリングと呼称するようになりました。

・13世紀
フランスで消費者保護のため、金銀細工への品質保証を打刻することが求められるようになりました。

近世の銀

・14世紀
イングランドで工芸者保護のために、銀製品の品位 (92.5%) を保証しなくてはならないという法律が制定され、その条件を満たした製品に「ヒョウの頭」を打刻しました。

・15世紀
1492年にボリビアのポトシ地区で新しい精錬技術として「アマルガム法」が開発され、生産効率が向上し生産量が増加しました。

『アマルガム法』
アマルガムとは、水銀と他の金属との合金総称です。
灰吹法では鉛を使っていましたが、アマルガム法では水銀を使用します。
金や銀は水銀に溶け込む性質があり、沸点の低い水銀を蒸発させることで高純度の貴金属を抽出する精錬技術になります。
水銀は人体に有害なため、現在では特定の環境下以外でのアマルガムを使用する作業は禁止されています。

・16世紀
アメリカ大陸でアステカ文明,インカ帝国の文化が成熟し、独自の高度な金銀細工の技術を確立していました。
しかし、スペインによる植民地政策により征服され、多くの金銀財宝を略奪され文明の幕を閉じました。

植民地政策により多くの土地を得たことで、銀山の開発が進み大量の銀を産出できるようになりました。
この生産量の増加は銀の価格を低下させ、合わせて銀貨の価値も低下し多くの国が採用していた通貨制度の銀本位制に打撃を与えるほどでした。

近代の銀

・17世紀
アメリカ大陸で植民地化による銀貨の流入により、アメリカインディアンが銀を手に入れることができるようになりました。
彼らは銀貨を加工したり、溶かして作り変えるなど独自の装飾品文化を築いていくようになります。

・18世紀
イギリスが銀貨の品位をスターリングシルバー (92.5%) からブリタニアシルバー (95.8%) へ変更するも、強度が低いために実用に耐えられず元のスターリングシルバーへ戻しました。

世界各地で高純度の銀貨が手に入るようになったことで、多くの少数民族が銀を手に入れることができるようになり、それぞれが独自の発展を遂げていくようになります。
特にアジア圏の少数民族は多種多様な銀の装身具文化を形成しました。

・19世紀
採掘技術,科学技術の向上と工業化により、現在も使われる「電解精錬」「青化法(シアン化法)」という精錬技術の開発により、高純度な銀の生成が可能になると共に生産量が増大しました。

『電解精錬』
目的の金属を溶液内から電気を流すことによって個体として精錬する技術。
現在でも多くの金属の精錬に使われており、高純度の金属の精錬が可能です。

『青化法(シアン化法)』
シアン化合物を使用することで、低品位の鉱石からでも金属を溶かし出すことが可能になりました。
この方法で溶かし出した金属を電解精錬で高純度の金属として精錬します。
シアン化合物は非常に強い毒性を有しているため、少数の国や地域では使用が禁止されています。

現代の銀

銀貨などの貨幣としての役割を終え、アクセサリーなどの装飾品や銀器として食器などの生活用品の素材としての役割を果たすようになりました。
貨幣としては、記念硬貨や地金型銀貨として製造.発行されています。

まとめ

あらためて銀の歴史を知ると、太古から人間の文化と密接に関わってきた金属であるということを知ることができました。
古くから経済の中心的存在でありながらも、人々を魅了する装身具や装飾品としても身近にあり続けていることに驚いてしまいます。
これだけの長い年月の中で多くの職人が積み重ねた技術のおかげで、自分がモノ作りをしていると考えると感慨深い気持ちになりました。

銀の歴史を知ることでアクセサリーやジュエリーを、より身近に感じられるようになって頂ければと思います。

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